儂の目にはひとりの少年が映っておる。
儂は公園ですることもなく、ただ徒然に、何気なく、思うがまま自由気ままに、
公園のベンチで飲み物を口にしたりしながら、まったりと座っておった。
見た目が少しばかり小さい淑女だからって、散歩中のおじいさんやおばあさんがお菓子をくれる。
…儂のことを幼女扱いするな!!
お菓子はありがたく頂くけどもさ!!
まぁそんなこんなで、儂のお腹もすっかりと満たされたおかげで、なんとも心地のよい午後のまったり時間を迎えることができた。
少しばかり眠気の波に揺られて、こくりこくりと船を漕いだりしておると、
その少年はゆっくりと儂の視界に入ってきおった。
心地よい風の吹く、午後の涼しげな空気にもたれかかるようにぼんやりとしながら、
その少年が歩いているのを見ているというのが、今の儂の状況というわけじゃ。
こんな晴れ渡った青空の下で、なんとも景気の悪い顔じゃの。
あたかも自分の靴をマジマジと見ているんじゃないかってほどに俯きながら歩いておる。
それほどまでに下を向いていると空から鳥のフンが落ちてくるぞ…などと儂が思うやいなや、ぽたりと少年の肩にフンが垂れ落ちた。
少年は少しびっくりして、空を見上げた。
そして空を飛ぶ鳥に対して、訝しいがどこか空虚な視線を送る。
しかしながらそんな虚ろな視線で空を見上げている少年を見て、今度は「そんなに見上げておるとつまずいてしまうぞ」と儂は思った。
そしてまさに、少年が空を見上げていると、足下の石につまずいて転びおった。
少年はむくりと身体を起こしたものの、その場にへたり込んでしまった。
膝からはじわじわと血が滲んでくるのが見える。
何をそれほどまでに堪えておるのかわからんが、精一杯唇を噛みしめておる。
泣きたい時は泣くほうが、生き易いというものじゃろうが、まだまだ尻も青い若造に言ったところでわからんじゃろうな。
そして少年はぐっと堪えた顔のまま顔を上げて、立ち上がろうとした。
その時、転んだ拍子にランドセルから飛び出した筆箱に気がついた。
それに気がついて体を起こして拾おうとしたところに、犬が飛び出してそれを持って行ってしまった。
その突然の盗難事件に少年は少し唖然としておる。まぁ確かにこれほどの連なった不運というのも珍しくはあるの。
それでもぐっと噛みしめた表情で、なんとか立ち上がって公園の出口へと向かっていった。
「まったくもってけったいな顔じゃの。幸薄顔という言葉は存外形容しがたい言葉だと思うのじゃが、これほどまでにうまく形容しやるものがおるとはの。しかれども、まだまだこれから人生何十年もある子どものする顔じゃないと思うが」
おっと、そんな私の独り言が聞こえてしまったようで、少年はこちらをちらりと一瞥した。
「なんだよ、おまえの方が小っちゃいじゃん。しかも変なしゃべり方。あのな、生きていたらつらいことや不幸なことがたくさんあるんだよ。おまえも大きくなったらわかるよ」
儂のことを馬鹿にする…というよりは『生意気なことを言うな』とでも思っておるようで…
それはこっちのセリフじゃ!
「ちっちゃいとはなんだ!!こちとら坊主が10回生まれ変わったところで、儂の年齢には届かんくらいの大人じゃぞ!!」
と、思わずむきになってしまった。
「なんだよそれ。どういう設定だよ」
「設定言うな!!いいか、聞いて驚くなよ!?いや驚け!!そして頭を垂れて儂の神々しさに目が洗われろ!!なんとこの私は…じゃじゃん!!…神様じゃ!!んまぁ、確かに神様としてはまだまだ子どもだからの、見た目としては小さいけれども。それでもじゃ、人間などとは比べ物にならないくらい長く生きてるんじゃぞ!!」
と、思わず真実が口をついて出てしまった。
しかし、そんな私の言葉聞いた少年は、馬鹿にしたどころかちょっと優しげな眼差しを向けてきた…。
神様にやさしくすんな!
「まぁいい。とりあえず、お主が何を思っているのかは知らんが、何事もとらえ方次第というものじゃよ。不幸や不運にばかり目をやっておると、何かと損をするものじゃ。もっと視野を広く持って、何が大事で、何が自分に必要なのかを見極めねば幸せにはなれんぞ。えらーい神様からのありがたーいお言葉ってやつだ!」
そんな言葉を私が言い終わると、今までの少しおどけた空気がまた最初に少年を見かけたときのどんよりとしたものに逆戻りしてしまった。
「いいんだよ…僕は不幸で。…ううん、僕は不幸にならなくちゃいけないんだ」
そう言って、またすっかりと俯いてしまった。
「なんじゃそれは。人は人である以上幸せを望むしかないもんじゃろうに」
「…さっき友達とけんかしちゃったんだ。俺…ひどいこといっぱい言って…。だから俺は幸せになんてなっちゃダメなんだ」
今にも泣き出しそうな顔がさらに歪み、涙もなんとか表面張力の力に頼って、なんとか目からこぼれ落ちるのをこらえているといった様子じゃ。
そんな彼を見て私は…
大いに笑った。
「ぶわっはっはっは、若いの!青春じゃのー!!だけど、そういう若さゆえのもの嫌いじゃないぞ。なんじゃなんじゃ、お主いい奴じゃの」
なんとも可愛らしい少年っぽい悩みに思わず笑ってしまった私に対し、ぽかん顔だった少年だが、次第に顔がむくれていくのがよくわかる。
なんて素直で可愛い奴だ!!
「な、なんだよ!」
と、ついには怒りを言葉にのせてきた。
「悪い悪い、言いたいことはわかるし、儂にもそういう時期があったもんじゃ。あの頃の儂もまだ幼かったからの。いやぁ、なんとも可愛い儂じゃった!!…まぁだけどなんだ、だからこそ知っておる。罪悪感から逃れるために不幸を望んだところで無駄なもんじゃと。頑張るだけ無駄じゃ無駄」
「ざいあくかん…よくわかんないけど、もういいよ!!俺は不幸になるんだから!」
こういう無駄に意地を張ってしまうあたりもま愛いもんじゃ。
「ふふっ。なら、頑張ってみたらよかろう」
ついつい意地の悪い笑顔をしてしまった。
少年は返事もせず、ふんっと鼻を鳴らして公園から出ていこうとした。
しかし、公園からとぼとぼと歩き出ていこうとしたところで、先ほど儂にお菓子をくれたおばあちゃんに呼び止められた。
「あらあら、肩に鳥のフンかけられちゃったの?まぁまぁ、染みになっちゃうといけないわ。そこの水道で洗ってあげるからシャツ脱いで」
そう言われ、少年は断ろうとしたみたいじゃが、言われるがまま、なすがままにシャツを脱がされてしまった。
その後も、あわあわとしておるせいでシャツはすっかりときれいに洗われてしまった。
「洗った直後で濡れてるけれど、まぁこれだけ晴れてるからすぐに乾くわ」
そんな風に優しくてぬくもり深い言葉をかけられ、きれいになったシャツ受け取る。
そして少年は…なんとも複雑そうな顔をしておる。
それでも何か呟こうと口を開くが、
その開いた口からは何の音も出てはこなかった。
きっと「ありがとう」と言いたかったのじゃろうな。
しかし、喉まで出かかっておるその言葉を吐き出すこと、飲み込むこともできず口をぱくぱくしておる。
なんとまぁ金魚のような愛らしさじゃの。
などと思い、儂はその様子を見ながらまた心の中でまた大爆笑じゃわい。
儂がそんな風に腹の中で笑ってるとは微塵にも思っておらぬであろう少年は、複雑な顔をしたまま、公園から疾く帰ろうと振り返った瞬間、
今度は同じくらいの年の少女とぶつかって尻餅をついてしまった。
「いたたた。ごめんね、大丈夫だった?」
少女は自分も尻餅をついたのに、少年を心配し、すぐさま声をかけた。
少年も何かを言いかけたが、
「わ、膝から血が出てる!ちょっと待って!!」
と、先に少女に言われてしまった。
「あ、いや…これは…」
もごもごと言っておるせいで、その言葉も言い終わる前に少女に先を越されてしまった。
「はい、これ!!絆創膏!!これ使って!!!」
そう言われ、少年は絆創膏をひとつ手渡された。
「じゃあ気を付けてね!」
少年は結局少女に何も言えなかった。
少年は突然いろいろなことがありすぎて、何をどうとらえたらいいものかと頭の中で整理がついておらんようじゃ。
普段ならきっと素直に笑えたのじゃろう。
だけど、さっき儂にも言った通り、少年は不幸になりたい。
そんなつまらぬ気持ちが、素直に笑顔にさせてくれぬのだろうな。
複雑な表情のまま、それでも立ち上がって帰ろうとする少年の目の前には、
またひとり別の人間が立っていた。
「そんなところに座って何してんだよ」
少年と同い年くらいの男の子が、少年に話しかけた。
とは言っても、話しかけはしたものの、目を合わせようというつもりはないらしい。
「べ、別に…転んだだけだよ。何しに来たんだよ」
少年は少年で、目を合わせずにつっけんどんな言葉を投げつけた。
お互いの間には沈黙しかなく、見ている儂のほうがいたたまれぬ気分になるわい。
「お前は、俺のこと嫌いなんだろ…」
あぁ、なるほどの。少年が言っておったけんか相手というのはこやつのことか。
先ほど、あれだけ泣きそうな顔をしておったくせして、こういう時ほど素直になればよかろうに。
「これ…」
そんな短い言葉が、気まずい空気の中、気まずそうに出てきた。
「これ…お前の筆箱だろ…」
そう言って、もう一人の少年は握ってた筆箱を少年へと差し出した。
「…!? なんでお前が持ってるの!?」
少年はあまりにも意外なところから自分の筆箱が現れたので驚いたようじゃ。
気まずい空気であることも忘れて素の顔を少年はのぞかせた。
「さっき…うちの犬が咥えて帰ってきたんだ。…やっぱりお前のだったんだな」
「あ、うん………あ…あのさ…」
少年はそこでもまた口ごもった。
「ごめん」
先に口を開いたのは犬の飼い主の方の少年だった。
「ごめんな…うちの犬が」
その言葉を聞き終わっても、少年はなかなか返事をせず黙っていた。
そして、ぽつぽつと涙を地面に落とし始めた。
「…俺の…俺のほうこそごめん」
そしてえっぐえぐと嗚咽混じりになり、そしてそのうちうわーと声を上げた。
今まで堪えていたもの全部が流れてたようじゃった。
もう一人の少年はいささか困り顔ではあったが、なぜ泣いているのか察しはついているのであろう。
しばらくそばで何も言わず立っておった。
そして数分後、少年もだいぶ落ち着いてきたようで、ふたりはしっかりと向かい合った。
「筆箱…ありがとう」
ようやく少年は、今日初めてのありがとうを口にした。
少年たちは少し照れくさい顔をしながらそれでも明るく笑った。
少年の顔からは複雑さは糸がほつれるように、するすると消えていった。
そして二人は一緒に公園から出てゆく。
「確かに不幸は突然に、そして理不尽に降りかかってくるものじゃ。それを回避するなど、それこそ神の御業でもなければ至極無理な話じゃ」
「じゃがな、少年よ…」
「幸福だって同じことよ。望もうと望まなかろうと、幸せはいつだって突然降り注ぐものじゃ。お主が望まなかろうと、そんなの知ったことではないわ」
今日もこの青い空からは、幸せが雨のように降り注いでおる。
それにつけても、あのおばあちゃんがくれた飴はうまいの。
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