おばあさんにケーキと葡萄酒

 

 

 

「こんにちは、おばあさん」

 

フードから頭をだして、少女はベッドに向って話しかけた。

 

 

 

部屋のベッドで寝ているひとは、隠れるように頭を布団のなかにうずめながら答えた。

 

 

 

「あぁ…来たのかい」

 

 

病気のせいか、昔と比べていささか低くなった声が布団の中から聞こえた。

 

 

 

 

 

「おばあさんの病気がよくなるようにケーキと葡萄酒をもってきたの」

 

 

 

 

 

そう言い、それらをテーブルにそっと置いておばあさんの寝ているベッドに近づいた。

 

 

 

 

 

「ごほっごほっ…うつるといけないからね。あまりこっちに寄っちゃだめだよ」

 

 

 

 

そう言われても、布団のなかで咳込むおばあさんのことが心配で、少女はベッドに駆け寄った。

 

 

 

 

 

 

「近寄っちゃダメだと言っているじゃろう…」

 

 

 

 

せき込んだせいか、より一層しゃがれた声になったおばあさんがそう言うのにも関わらず、少女はベッドのすぐ横で、うずくまるおばあさんの体をそっと撫でた。

 

 

 

 

 

 

「あ、ありがとう…すまないねぇ」

 

 

 

 

 

おばあさんはより一層布団にもぐりこんでしまった。

 

 

 

「おばあさん、そんなにもぐりこんで息苦しくない?顔をだしてもいいんだよ?」

 

 

 

 

 

そう少女が言うと布団の中から少しだけ頭がのぞいた。

 

 

 

 

 

少女は出てきた頭にそっと触れた。

 

 

 

 

 

おばあさんは寒いのか、ぶるぶると…噛みしめるように震えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おばあさん…おばあさんの耳って大きいのね」

 

 

 

 

 

 

「それは…おまえの綺麗な声がよく聞こえるようにじゃよ」

 

 

 

 

「…あら、おばあさんの手はこんなにも大きかったのね」

 

 

 

 

 

「おまえのことをしっかりと抱きしめてやりたいからね、大きくなったのさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあおばあさん、人間のお口ってそんなに大きかったかしら…」

 

 

 

 

 

「それは…」

 

 

「それは?」

 

 

 

 

 

「それは…お前を……お前を食ってやるためだ!!!!」

 

 

 

 

布団の中から狼が飛び出し、少女を床に組み伏した。

 

 

 

 

 

 

少女の眼前に大きな狼が一匹、白い牙をひけらかすように大きく口を開けている。

 

 

 

 

白い牙とおなじくらい、透き通るように白い少女の首筋には、

 

 

 

今にも食い殺さんとばかりに剥かれた牙が立てられている。

 

 

 

 

 

少女は何も言わず、ただ静かに狼のことを見ていた。

 

 

 

 

 

大きな狼の手は少女を抱きしめることなく、床に抑えつけている。

 

 

 

 

 

 

大きな耳はただ彼女の呼吸と鼓動だけをとらえ、彼女の声は聞こえてこない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少女はじっと狼の瞳を、ただ黙って見つめている。

 

 

 

 

 

ぽたぽたと、少女に突き立てた牙から滴が落ちる。

 

 

 

ぽた…ぽた…

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、もう一つだけ聞いてもいいかな?」

 

 

 

 

 

 

あまりにも不意なことに狼は少し驚いて、牙を離した。

 

 

 

 

「バカ野郎!!急に声出すんじゃねえ、あぶねえだろ!!」

 

 

そんな風に狼が言い終わる前に、少女は気にせず狼に尋ねた。

 

 

 

 

 

「狼さん…なんであなたの目はそんなにも光っているの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

狼の目はきらきらと…ゆらゆらと光っている。

 

 

 

 

瞳を揺らす光は頬を伝い、牙の上を流れて、少女の首に静かに落ちていた。

 

 

 

 

 

 

「それは…それは……お前が泣かないように…見守るためだ…」

 

 

 

 

 

狼の手の力は、その涙とともに流れ出ていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

「私が泣かないようにって…狼さんがこんなに泣いてるじゃない」

 

 

 

 

そう言って少女は狼の頬にやさしく手を当てた。

 

 

 

もともと涙でぐしゃぐしゃになっていた毛並だけど、

 

今もなお溢れでてくる涙でさらにぐしゃぐしゃになっていく。

 

 

 

 

 

狼が嗚咽の合間に、ようやく震える声を絞り出した。

 

 

 

 

 

「お前はここまでしても逃げてくれないのか…お願いだから…」

 

 

 

 

 

それは草原の王様たる狼にはあまりにも不似合なほど切実で悲しくて、そしてやさしい声だった。

 

 

 

 

狼の手に比べるとあまりにも小さな手で、少女は狼をそっと抱きしめた。

 

 

 

 

 

「お友達が泣いているのに逃げられるわけないよ。私が出ていっちゃったら泣き虫な狼さんがひとりぼっちになっちゃうもん」

 

 

 

 

 

 

 

「俺はお前のばあさんを食べたんだぞ…」

 

 

 

 

少女のびくっと、少しだけ強く手に力が入ったのが狼にもわかった。

 

 

 

 

 

「やっぱりおばあさんは…死んじゃったの?」

 

 

 

 

 

狼は黙ったまま、何も言わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…死んじゃったの??」

 

 

 

 

 

 

狼は何か声を出そうとはするが、その声は震えて、嗚咽に潰されて、何も伝えられず、

 

 

 

 

 

かわりに少女を抱きしめ返すのが精いっぱいだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

狼の胸が濡れていくのがわかった。

 

 

 

 

どれだけ明るく振舞おうと、

 

 

 

 

 

どれだけしっかりした態度をとろうと、

 

 

 

 

 

たった一人の、ただの普通な少女なのだ。

 

 

 

 

 

 

だから…

 

 

 

「だから早く」

 

 

 

 

少女が気付かないうちに、

 

 

 

 

「逃げてほしかったんだ…」

 

 

 

去ってほしかったんだ。

 

 

 

 

「俺から…」

 

 

 

 

 

このおばあさんの家から。

 

 

 

 

 

狼も泣きっぱなしだが、少女の涙もまた、とどまる様子を見せなかった。

 

 

 

 

 

「俺にできることはもう何もない…。

 

 

お前のために、俺がしてやれることはもう…何一つ……」

 

 

そして涙が一粒また流れ落ちた。

 

 

 

 

 

今まで涙に遮られていた狼の目は久々に部屋の光景が映った。

 

 

 

クローゼットの上に笑っているおばあさんの写真がのっている。

 

 

 

 

 

「…って、そんな弱気なこと言ったら、あのばあさんのことだ…きっと怒るんだろうな。

 

 

そんなの絶対…許してくれねえよな!」

 

 

 

 

 

 

 

 

狼がふいに独り言をつぶやいたかと思うと、急に立ち上がり少女から離れた。

 

 

 

 

少女は驚いて狼のことを目で追うが、涙でいっぱいいっぱいになってよく見えない。

 

 

 

 

 

 

狼はおばあさんのクローゼットを勢いよく開け、

 

 

 

 

おばあさんの帽子と眼鏡をかけた。

 

 

 

 

 

 

 

「い、いつまでもめそめそ泣いてんじゃないよ!泣くのが悪いとは言わないけど、泣きっぱなしってのは体に良くない。ほら、流した分の水分を補給しなきゃね。お茶にするよ」

 

 

 

 

 

 

 

突然狼が、その野太い声を高くしゃがれさせて、突拍子もないことを言い出した。

 

 

 

 

 

そんな狼を見て、少女はびっくりして涙まで止まってしまった。

 

 

 

「何をいつまで泣いているんだい。人生笑ったもん勝ちなんだから損するよ」

 

 

 

 

「ほらほら、しめっぽい空気は窓開けて追い出すんだげほっげほっ…」

 

 

 

 

どれだけ無理して声を出していたのだろうか。

 

 

狼は勢いよく咳き込んで、おばあさんの帽子も眼鏡もとんでしまった。

 

 

 

 

 

 

少女はそこで堪え切れなくなり、ぷっと噴き出してしまった。

 

 

 

 

「狼さん、もしかしてさ…おばあちゃんの真似?」

 

 

 

少女はまだ堪え切れないといった感じで、くくくと笑いながら狼に尋ねた。

 

 

 

 

 

「うるさい!!………そうだよ」

 

 

 

狼は少女に笑われると、顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。

 

 

 

 

 

顔は毛で覆われているはずなのに、それでもわかるくらい顔が真っ赤なのだ。

 

 

 

 

しばらく笑い続けている少女を、狼は困り顔で、照れ顔で、静かに待っていた。

 

 

 

そのうち笑いも涙も落ち着いてきた少女は、ふぅと一息おいて静かに声をだした。

 

 

 

 

「ねぇ、狼さん…狼さんはおばあちゃんのことを食べたの?」

 

 

 

 

 

泣くことも笑うこともやめて、少女は屈託のない真っ直ぐな目で狼を見た。

 

 

 

 

 

「…あぁ、ばあさんは俺が食った」

 

 

 

狼はうつむいて、はっきりとそう答えた。

 

 

 

 

 

 

「お腹がすいてたの?」

 

 

 

「…違う」

 

 

 

「おばあさんのことが嫌いだったの?」

 

 

 

「違う」

 

 

 

 

「じゃあ、私のことが嫌いだったとか?」

 

 

 

「そんなわけないだろバカ」

 

 

 

 

 

 

「そっか…じゃあおばあちゃんがお願いしたんだね」

 

 

 

「…」

 

 

 

 

「あの偏屈で面白いおばあちゃんがいかにも言いそうだよ。

 

『どーせ土に埋められたって虫どものエサになるだけじゃろ?

それじゃったら私が見込んだ奴に食われた方がよっぽど報われるってもんさ。

あんたにはつらい思いをさせるかもしれんが…

まぁ、男じゃろ。レディの最後の頼みは聞くもんじゃよ』

 

みたいな感じでさ」

 

 

 

絡みつきそうな糸が、なんということはなく軽く引っぱたら力なく解けた。

 

 

 

どこに結び目もなく、ゆるくはらはらと。

 

 

 

 

はらはらと、涙を流しながら少女は笑っていた。

 

 

 

 

 

「食わずに埋めたら墓から這い出てやるからねって」

 

 

 

 

 

「え?」

 

 

 

 

「ばあさんの最後の言葉…『食わずに埋めたら墓から這い出てやるからね』って」

 

 

 

 

「はははっ、豪気だね。これから死ぬ人の言葉とは思えないよ」

 

 

 

 

 

「まったくだよ、死ぬ前の老婆にびびる日がくるなんて思ってもみなかった…」

 

 

 

 

 

はははっと、また少女は笑った。

 

 

 

 

 

 

狼もつられて口角が上がるっている。

 

 

 

 

 

 

「そうだ!ねぇ、なんでさっきいきなりおばあさんの真似をしたの!?」

 

 

 

急に話を蒸し返されて、狼の顔はまた真っ赤に染めあがった。

 

 

 

今度は耳まで真っ赤なのがわかるくらいに。

 

 

 

 

「あれは…その……お前が悪いんだぞ!!」

 

 

 

「何よ急に!?」

 

 

 

 

「ばあさんが死んだこと知ったら絶対泣くと思って、わざわざ脅かして追い出そうとしたのに、全然逃げやがらないから!!」

 

 

 

 

「あんなに泣いてる狼さんほうっておけるわけないじゃない!!」

 

 

 

 

「それでもよぉ…それでも……あぁもう…」

 

 

 

 

「ねぇ教えてよ!」

 

 

 

 

 

「あぁ、もうわかったよ…。

俺はばあさんが死んだことをお前に隠そうとしたけど、結局ばれてお前を泣かしちまった。

 

だから…だから俺は…ばあさんの代わりになろうって思ったんだよ。

 

…それがばあさんを食った奴のつとめみたいな気がしてよ…」

 

 

 

 

 

「で、おばさんになろうとしたと」

 

 

 

「お、おう…」

 

 

 

「で、失敗したと」

 

 

 

「失敗って言うんじゃねえよ!!」

 

 

 

 

 

また少女は笑った。

 

 

 

無理をしているかもしれない。

 

何かを噛みしめているのかもしれない。

 

 

抑えつけているのかもしれない。

 

 

 

だけど少女は笑いたい…そう思ってくれている。

 

それが狼には一番の救いだった。

 

 

 

 

 

 

「おばあちゃんのお葬式はまたちゃんとやろう。そんなん別にいいっておばあちゃんには言われそうだけどさ。…でもまぁこれは残されたものの気持ちの整理ってことで」

 

 

 

 

少女は立ち上がった。

 

 

 

 

「とりあえず今は、せっかく持ってきたケーキもあることだしお茶にしましょ

 

…ね、新しいおばーさん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さな家で、小さなお葬式。

 

 

 

 

 

大きな手が、その両手を合わせた。

 

 

その隣で小さな手も、その両手を合わせている。

 

 

 

 

 

 

「やさしくて、ひとがよくて、口が悪くて、馬鹿で、大きな体のくせに泣き虫で…

…そんな素敵な新しいおばあさんができたよ。ありがとうね」

 

 

 

 

 

小さなお墓の前、少女は最高の笑顔で最後の涙を流した。