夕方電車 Other's E

電車の車輪がごとんごとんとリズミカルに波打っている。

 

 

 

その音を聞きながら僕は持っている本に目をやり、

 

文字を追って視線を上下にリズミカルに揺らす。

 

それがいつも通りの下校風景で、今日もいつもと変わらない。

 

 

変わらない毎日が、だらだらと続いていくだけ。

 

 

 

 

だけど僕はこの毎日見る景色が、

 

 

 

 

すごい好きなんだ。

 

 

 

 

そろそろ市街地から抜けると夕陽が差し込んでくるはずだ。

 

 

 

夕陽に照らされ、本の文字たちがふわっと輝く瞬間が好きだ。

 

その文字の世界が光とともにこの世界に現れるんじゃないか

 

 

そんな気がしてとてもワクワクして、嬉しい気持ちになるのだ。

 

 

黒と白との平面世界がカラフルに彩られて、世界に広がっていくような…そんな感覚がして、

 

 

この世界がファンタジーになったようで、とても素敵なんだ。

 

 

 

そんな瞬間を見るために、僕は夕日に合わせて学校をでる。

 

 

 

そして、今日も街中の高校から、町はずれの自宅へとゴトンゴトンと運ばれていく。

 

 

 

 

高い建物がなくなるのと同時に、電車はものすごい速さでオレンジ色の世界へと飛び込んでいく。

 

 

 

 

先頭車両からどんどんとオレンジ色に空気の色が変わっていく。

 

 

 

そしてついに自分の乗る車両も光に飲まれる。

 

 

 

 

僕の手の中の文字たちも左から順にぽつぽつと光に代わって、

 

 

 

 

ふわふわと浮かびあがる。

 

 

 

そしてその輝いた世界に僕自身が包まれた瞬間、

 

 

 

一瞬世界が真っ白になり、文字の光たちもこの光の中へぶわっと広がっていく。

 

 

 

次第にその白色が黄色じみて、オレンジ色となる。

 

 

 

 

そのころには飛び出していった文字たちも、順番を間違うこともなく元いた位置にちゃんと戻っている。

 

 

 

 

僕は高校に入ってからほとんど毎日この瞬間を味わっているのに、

 

 

 

 

飽きることもなく、楽しみでしょうがない。

 

 

 

市街地が終わり、高いビルたちがどんどんと後ろのほうへ流されていく。

 

 

 

 

 

すっかりとオレンジ色に馴染んだ電車のなか、

 

 

ふと視界のはずれにキラキラと輝くものが見えた。

 

 

 

 

 もしかしたらひょっとしたら

 

 

 

そう思うと、そのキラキラしたものが何なのかを確かめるのが少し怖いような、

でもどこか自分が予想したものなんだろうなという、そんな諦めたようなよくわからない気持ちになった。

 

 

 

もしそうだったとしても、そんな光景を見るのははじめてというわけではないのだから、なんとかその気持ちを言葉にしたいとも思うのだけれど、毎日本を読んでいるが未だその感情を表す言葉に出会えたことがない。

 

 

 

 

 

僕はそのキラキラとしている方を、その言葉にできない感情に引っ張られて顔を向ける。

 

そして、

 

「あぁ、やっぱりか」

 

 

 

そんな風情も人情もない台詞を心のなかでそっと呟いていた。

 

 

 

 

 

キラキラとした光が生まれるそこには、泣いている女の子がいた。

 

 

 

 

僕とおなじくらいの年だろうか。

 

 

 

 

ぽたぽたと落ちる涙は、周囲を包み込んでいるオレンジ色に照らされてキラキラと輝いていた。

 

 

 

 

女の子は声を上げるわけでもなく、しゃくりあげるわけでもなく、顔を手で覆うわけでもなく、ただ静かに涙をながしていた。

 

 

 

 

 

次々にあふれる涙がぽつぽつと光に変わっていく。

 

 

 

 

文字通り光となって、世界に溶け込んでいく。

 

 

 

次第に涙だけでなく彼女の肩や髪の毛、指先、いたるところが光輝いていく。

 

 

 

いや、輝いていくじゃない…光へと変わっていく。

 

 

 

彼女の体はだんだんと光となって消えていく。

 

 

体の外側から次第に…だんだんと。

 

 

 

 

絶望したときに、人は光となってこの世界へと溶け込んでいく。

 

 

 

それ以上つらい人生を送る必要がないように。

 

 

 

絶望が広まっていかないように。

 

 

 

絶望が消え、世界に希望の光を振りまくために、

 

 

 

絶望したひとたちはこの世界から消えていく。

 

 

 

今までも何度か見たことのある光景だけれど、すごく悲しいのに綺麗で、怖くて愛おしくて。

 

 

 

 

絶望した人間が世界から消えていく姿がこれほどにきれいだなんて、皮肉だな。

 

 

 

 

…いや、絶望を知ったものへのせめてもの手向けなのだろうか。

 

 

 

 

 

彼女はそんな風に自分が光へと変わっていく間も、ただ静かに涙をこぼしていた。

 

 

 

そんな光に包まれた彼女の目は、深く澄んで、とても暗い。

 

 

 

 

悲しさと綺麗さを振りまきながら彼女は次第にいなくなっていく。

 

 

 

そんな彼女に気付てはいるのだろうが、特に声をあげるようなひとはいなかった。

 

 

 

彼女が消えていく間、さながら祈りを捧げるかのようにみな一様に、静かに顔を伏せている。

 

 

 

 

いや、本当に祈ってはいるのかもしれない。

 

 

 

いたいけなる少女に幸あれ…と。

 

 

 

 

だけど、僕は彼女の消えていく美しさに目が離せなかった…見入っていた…見蕩れていた。

 

 

 

僕は立ち上がり、彼女の前へと移動した。

 

 

 

腰を屈め、彼女の顔を覗き込んだ。

 

 

 

正面から彼女を照らす夕陽は絶望であろうと、祈りであろうと、そんなこと自分には関係ないとばかりにすべてを照らしてくれている。

 

 

それが、なんだか少しだけ救いに思えた。

 

 

 

世界が彼女を否定したわけじゃない…そんな風に思えたんだ。

 

 

 

 

ただ、彼女自身はそう思えなかったから絶望したのだけれど。

 

それは彼女の目を見れば嫌というほど思い知らされた。

 

 

 

 

彼女の瞳だけがこのオレンジ色の世界で異色を放っていた。

 

 

 

何を見るわけでもなく、ただ涙を押し出すだけの穴のように暗い澄んだ瞳。

 

 

 

僕はその穴を覗き込んだ。

 

 

どこまでも深くて、どれだけ近寄って覗き込んでもたぶん、底なんて見えてこない。

 

 

 

これが絶望なのだと、どんな言葉よりもリアルに教えてくれる。

 

 

 

これだけ近付いて顔を覗き込んでいるのに、僕のことなんて見えていない。

 

気づいてすらいないのだろう。

 

 

 

今の彼女に僕がどれだけのことをしてあげられるのか。

 

 

誰かが誰かになにかをしてあげられる…そんな風に考えるのは傲慢でおこがましくて自分本位だ。

 

 

 

それに何かできたところで、それで彼女が救えるだなんてことはない。

むしろ余計つらい思いをさせるだけだ。

 

 

こうやって消え始めてしまえば、たとえ絶望がなくなったとしても希望に満ち溢れたとしても、もう止まることはなく光となって世界に溶けていく。

 

 

 

そのほうがよっぽど辛い。

希望があるのに、絶望なんてもうないのに消えていかなければならないなんて。

 

 

 

 

他の乗客たちは何もせず、動こうともせず、ただ彼女のために祈っているのは、冷たいとか無関心だというわけではない。

 

ただ単純に…祈ることしかできないのだ。

これ以上彼女につらいことが降りかからないように。

 

 

 

 

 

だからこそ、今から僕がすることはべつにこの子のためでもなければ、それが正しいことだと思ってやるわけではない。

 

ただ、自分がこの世界に絶望したくないから…そんな自分本位のためにやるのだ。

 

 

 

絶望のまま、誰の温もりも感じずに消えていく少女をどうにもしてやれないこの世界に絶望しないために。

 

 

 

 

「ありがとう」

 

 

 

 

 

僕が発したのはたったその一言だけ、

 

 

その五文字だけだった。

 

 

 

 

 

その瞬間彼女は僕をみた。

 

 

ようやく僕が目の前にいると気が付いたのだろう。

 

 

 

 

そして光となって消えていくなかで彼女は自分を包む光よりも、

 

 

 

自分を照らす夕陽よりも明るく、きらきらと笑った。

 

 

気のせいなんかじゃなく、確かに笑った。

 

 

僕は、彼女の笑顔の見届け人となったのだ。

 

 

絶望を取り除いてあげることもできなかった。

 

希望を与えてやることもできなかった。

 

 

そんな僕が言ってあげられるのは、君がこの世界に君として存在してて、幸せになったひとがいる…それを伝えることだけだった。

 

 

 

そんな言葉なのに、彼女は笑ってくれたのだ。

 

 

「…本当にありがとう」

 

 

 

 

いつかこの世界がたった一度の絶望を許さない世界でなくなれば…

 

 

やり直す機会をくれる世界になってくれたら…

 

 

 

 

いま僕が読んでいるこの本のように、絶望で人が消えない…

 

 

そんなファンタジーみたいな世界だったら…

 

 

 

 

僕は、彼女と友達になれたのかな。

 

 

 

 

 

 

電車の車輪がごとんごとんとリズミカルに波打っている。

 

 

 

その音を聞きながら僕は持っている本に目をやり、

 

文字を追って視線を上下にリズミカルに揺らす。

 

そんないつも通りの下校風景。

 

 

 

だけど、いつも埋まっていた座席がひとつだけ空いている。

 

 

 

僕は静かに腰を下ろし、夕陽が差し込む町はずれを楽しみに待っている。