足跡

 

「空が青いなぁ。

 

 

 

 

雲ひとつなくて、なんだか深い。

 

 

 

 

 

俺はあの空に沈んでいくのかな…。

 

 

 

 

 

 

はは、あほなこと言った。

 

とりあえず歩くか」

 

 

 

 

男はむくっと体を起して、砂でおおわれた地平線を眺めた。

 

 

 

「本当に砂ばっかりだな」

 

 

 

 

「どっちに進めばいいかさえわかんねえや」

 

 

「踏み込むたびに砂がキュッキュと鳴る…砂と空しかない世界もシンプルできれいに思えてくるよ」

 

 

自嘲じみた笑みを浮かべながら歩く。

 

「わっ…!!」

 

 

足の下の砂が滑り落ちていく、その砂と一緒に男も滑り落ちていく。

けっこう長い坂の様で、あおむけのまま男は止まるまでしばしまた空を見ていた。

 

 

ようやくスピードが緩くなってきて、砂と男は坂のしたに到着した。

男は起き上がる気力もなく、そのまま寝転んでいた。

 

 

 

 

 

「空はずっと青いままだな。はぁ、装備は重いし、軍服は暑いし」

 

 

 

男はごろんと横を向いた。

 

 

 

青い空と砂の丘。視界の半分は青く染められて、もう半分は白くきらきらとしていた。

 

 

 

 

 

「戦闘機からなんとか抜け出してここまで歩いてきたけど、ここがどこなのかさえいまだにわかんねえ。

 

なんでこんなに歩いてんのに誰にも会わねえんだよ!!

 

 

 

だーれもいない…

 

もしかしてこのまま…ひとりで死ぬのかな。

 

 

 

 

 

あー、もういいや…いっそこのまま寝てみたら、なんか変わるかもしれないな」

 

 

 

 

「ふぁーあ…」

あくびをしながら目を閉じようとしたそんなときに、目の端に何かが見えた。

 

 

 

 

 

 

砂の上を点々と何かが続いている。

 

 

「なんだあれは。…よっこらせ。

 

 

まったく、足が重いな。とりあえず、もう装備は外すか。誰もいないところで、誰かを殺す道具持ってるとか…滑稽すぎるだろ」

 

 

 

どさっと装備を投げ捨てて、立ち上がった。

 

 

 

 

点々と続くそれがいったい何なのか、

 

目を凝らしてみる。

 

 

 

 

心臓がトクンと鳴ったのがわかった。

 

トクントクン

 

だんだんとはっきり聞こえてくる。

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫、期待なんかまったくしてない…あれは…足跡なんかじゃない。ただ、なにか…きっと別のものだ…」

 

 

期待が胸にあふれてくるのがわかった。

 

でもそれが…とてもこわかった。

 

 

 

もし期待してそれが違ったら…。

 

そう思って精一杯否定するのに、どんどんとあふれてくる。

 

 

 

 

 

 

なにも思わないように、何も期待しないようにして歩くが、

 

 

期待と一緒に大きくなった恐怖が足を引っぱる。

 

 

 

 

一歩ずつ、ゆっくりと近づいていく。

 

 

 

 

次第にその点々とつづく何かがはっきりと見えてくる。

 

 

 

 

「目が熱い…ほっぺたまで熱いな。泣きたいわけじゃないんだけどな」

 

 

 

 

 

 

歩幅が大きくなるのと同時に、涙はどんどんと激しくなっていった。

 

 

 

 

その連なった点のそばまでたどり着いたときには、男は膝から崩れ落ち、大きな涙で砂を濡らしながら大きな声をだして泣いた。

 

 

 

「うぇっ…くっ…う、よかった、よかったよ…」

 

 

 

足跡のそばで涙がとまるまでずっとずっと我慢もせず。

 

 

 

 

 

 

 

「涙で川ができちまいそうだな。あー、泣きすぎて頭いてぇ」

 

 

 

「はぁ、うれしくてたまんないや。さっきまで皮肉った笑い方しかできなかったけど、普通に笑えるってこんなにも幸せだったんだな。

 

 

こんなに幸せなだったんだな…ひとりじゃないって…誰かがいるって」

 

 

 

 

 

男は立ち上がった。

 

 

 

「よし、どんな顔か拝ませてもらおうじゃないか

 

…会って礼を言わなきゃな」

 

 

 

 

男は足跡の先を見つめた。

 

男は足をあげ、その足跡に重ねた。

 

 

俺よりは小さいか。とりあえず、この足跡に俺の足を重ねていけばたどり着けるはず…だよな」

 

 

右足の跡には右の足を重ねて、左足の跡には左の足を重ねた。

 

 

 

一歩一歩踏みしめてその足跡から決して落ちないように歩いていた。

 

 

 

 

「どんや奴なんだろう、きっと俺よりも小さいんだろうけど」

 

 

 

 

 

一歩ずつ、足跡から落ちないように丁寧に歩く。

 

 

そんな風に歩いているうちに男が急に笑い出した。

 

 

「くくく…はははははっ」

 

 

 

「こいつ、こけたのか。これ絶対しりもちの跡だろ」

 

 

 

「どじだなぁ」

 

「あ、手も俺より小さいな」

 

 

 

「俺もここで一回しりもちをついといたほうがいいのかな」

 

 

そんなことを言いながらも笑顔がこぼれて止まらない。

 

 

 

 

 

そんな風にあるいていくうちに、足元がかすむようになってきた。

 

 

 

「なんだ、空がもう群青色だ。なんだかちっとも疲れないなぁ。装備をおろしたからってのもあると思うけど、でもきっとそれだけじゃないんだろうな」

 

 

 

「もう見えなくなるし、ここらへんで一回休むか」

 

 

 

火の明かりがあたりを照らしている。

 

小さな足跡が大きな足跡を導いてここまでやってきた。

 

 

 

「少し寝るのがこわいな。明日まであればいいけど」

 

 

 

男は目を閉じた。

空にはたくさんの星が瞬いては消えている。

 

 

 

 

 

ぐっすりと眠る男の上でそのうち月が傾き、東の空が白く染まっていった。

 

 

 

そうして、目を閉じていてもわかるくらいに、あたりはすっかり明るくなっていた。

「眩しい…カーテンとかどうにかつけられないかな」

 

 

 

 

 

男はそっと目を開けた。少しだけ目を開けるのがこわかったのだ。もし足跡がなかったら。

 

そんな気持ちがまぶたにぶら下がって、目をあけるのを妨げる。

 

 

恐る恐る目を開ける。

 

 

 

 

 

「マジかよっ!!…足跡がない。昨日のは夢だったのか?」

 

 

まだ頭が重いのがわかる。まぶたもつられて重いが必至に目を凝らす。

 

 

 

だが地平線まで見とおしてもどこにも足跡は見当たらない。

 

 

「あー、すごい幸せだったのになぁ、いい夢だったなぁ」

 

 

「よし、もう一回夢見るか」

 

男はゴロンと寝返りをうち、太陽とは反対を向いた。

 

 

「!!…はぁ、よかったー…こっちかぁ。そういえばそうだった気もするよ」

 

 

 

 

男の重たかった頭は一気に軽くなって、まぶたは生き生きと跳ね上がっていた。

 

 

 

 

男は起き上がるとまた昨日と同じことを繰り返した。

 

 

 

右足をあげ、足跡の上にそれを置き、左足をあげてそれを足跡の上に置く。

 

 

 

そんなことは飽きもせず、ほほ笑んだ顔でゆっくりと前に進んでいく。

 

 

「早く会いたいな」

 

 

 

ふと、顔をあげるとそれはそこにあった。

 

 

「いきなりジャングルってどんな世界だよ、シュールすぎるだろ。これってやっぱあれかなぁ。異世界に飛んじゃったぁとか次元の歪みがぁとか…。

 

まぁそんなことはどうでもいっか…とりあえず足跡だけはちゃんと残ってるんだ。

 

俺にはそれだけで十分だ」

 

 

 

「よし、ジャングルだろうがなんだろうが何も変わらない、俺はこの足跡だけを歩いていくんだ」

 

 

 

 

「それにしても大きなジャングルだな。太陽がすごい遠くなった気がする」

 

 

 

男は踏み固められた柔らかい土のうえを、また少しほほ笑んで歩きだした。

 

 

 

 

「あ、雨だ。抜けるような深い青空もよかったけど、これはこれで気持ちがいいや」

 

 

 

「でも、足跡消えちまうかな…」

 

 

男は少し悲しそうな顔になったが、やることは変わらなかった。

 

いや、やれることはかわらなかった。

 

 

 

 

それからどれだけ時間がたっただろう。雨はまだ降り続いていた。

 

 

男は目をあげた。足跡はまだそこにしっかりとあった。

 

 

足跡だけ雨がさけいてるように、足跡だけ光っているように。

 

 

「まだ消えないでいてくれるんだな。単なる普通の足跡なのになんかすごい存在感だな」

 

 

 

 

 

 

 

 

すっかり雨があがったころも、足跡はいまだに形も変えずにそこにしっかりと存在した。

 

 

 

空は晴れ晴れとして、雨で足跡が消える心配もなくなり男の顔はすっかり笑顔になっていた。

 

 

 

 

「なんでこんなにはっきりとしてるんだよ。ぽっちゃりさんか?」

 

 

「おかげで、いくらでも追いかけていけそうな気がするよ」

 

 

 

 

男の笑顔はそれからしばらく続いた。

 

「歩いても歩いても消えない足跡。前を向けばそいつがいた証がどこまでも続いている。

それがあればどこだってかまわない。それがあれば雨だってかまわない。

ただそれがあるだけで、そいつが存在してるってだけで俺が歩く理由には事足りる」

 

「頼むから元気でいてくれよ」

 

 

 

 

 

 

「ん?足跡が止まった…?」

 

 

 

 

足跡が突然その歩みを止めた。男も一緒に歩みを止める。

 

 

 

そして足跡から顔をあげ、前を見た。

 

 

泣いているんじゃないかと思うほどに男の顔は歪んだ。

 

 

 

 

男の目の前には川が流れていた。

 

 

 

足跡は川に向かって再び歩きだしていた。

 

 

「なんてとこ歩いてんだよ!こっちの気持ちも知らないで」

 

 

男はグシャグシャになりかけた心をなんとか繋ぎとめて、川の向こう側を見た。

 

 

 

「ふぅ…大丈夫、きっと向こう岸に続いてるはずだ」

 

 

 

 

男は軍服の上を脱いで、川に徐々に入って行った。

 

 

 

「以外に深いな。足がもう届かない」

 

 

 

男は願うように、祈るように対岸をにらんで、やっとの思いで泳いでいく。

 

 

 

 

「足跡の上を歩けないってのはこんなにも不安だったんだな。

早くあそこに戻りたい」

 

 

 

 

男の足は再び地面をとらえた。

「頼むからあってくれ」

 

 

水から徐々にあがり、あたりを必死になって見回す。

 

 

 

そしてだんだんと男の顔からは血の気が引いていった。

 

「ばっかやろう、なんでだよ!どこに行ったんだよ!!」

 

 

 

「確かに向こう側までは足跡があっただろ…」

 

 

 

 

振り返った男の眼の先には自分の足跡だけがしっかりと残されていた。

 

 

 

「俺…なんてアホな歩き方してんだ」

 

 

「これじゃああいつがいたって証拠がどこにも残んないじゃん」

 

 

 

 

男はもう我慢もしないで目を閉じて大きな口をあけて、叫ぶように、大粒の涙を流した。

 

見つけた時と同じように、見つけた時とはまったくちがう気持ちで大声を張り上げて泣いた。

 

どこにそれだけ涙がたまってたのか、いつまでも止むことはない。

 

 

 

 

男は涙を流しながら立ち上がって、どこともなくふらふらと歩きだした。

 

 

 

目の前には真っ暗な森がどこまでも続いていて、男の視線は下を向いて、

足跡を探しているようだ。

 

 

 

「どこいったんだよ」

 

 

「本当にいたのかよ。もうお前の足跡はどこにも無くなっちまったんだよ」

 

 

 

 

男の涙はいつまでも涸れることがない。

 

 

男はいつの間にか森を抜けて、広い広い道のようなところに出ていた。

そこは誰かに使われている様子もなく、本当に道なのかもわからなかったし、

それがどこに向かっているものなのかもわからない。

 

でも…男にはもうどうでもよかった。

 

 

男の向かう先はもうどこにもなくなってしまった。

 

 

ふらふらと歩く足跡。

 

 

 

 

 

 

「ちょっと待って!お願い、ちょっと待って!!」

 

 

 

突然、後ろから叫ぶような声が聞こえた。

 

 

誰かがいるのか。でもあふれ出した涙でかすんで見えない。

 

 

 

「お願いだから。はぁはぁ…息が…ふぅ」

 

 

 

「君の足跡…追っかけてきたの」

 

 

「私、ずっと一人で。他にだれかいないかずっと探してたんだけど」

 

 

 

 

男の眼にはさらにたくさんの涙があふれていた。

もう、その子の顔どころか何にも見えなくなるくらいに涙で瞼の上はいっぱいだった。

 

 

 

「よかった、会えて…本当によかったよ」

 

 

 

「え!?ちょっと、なんでそんなに泣いてるの!?」

女の子は少し困った顔をしながらも男が落ち着くのを待っていた。

 

 

「もう、君の足跡を川のほとりで見つけた時はふらふら歩いてるし、

なんか足跡のとこがぽつぽつと濡れてると思ったら」

 

 

「もしかしてずっと泣いてたの。もう仕方ないなぁ、男なんだからしっかりしなさい」

 

 

 

女の子は自分より背が高い男の頭をやさしく撫でながら、話をつづけた。

 

 

「大体ね、足跡残すのが下手なのよ。落ち葉踏んだり、草のあるとこ歩いたり」

 

 

 

「私なんか、誰か見つけてくださいってすごい念を込めて一歩一歩あるいてたのに。川ですっころんで流されたあとだって、君の足跡見つけるまでは…」

 

 

 

「はは、だから君の足跡はあんなにくっきりしてたのか。てっきり重たいぽっちゃりさんなのかと思ってたよ」

 

 

 

男の顔には笑顔が戻っていた。

 

 

「なかなか失礼だな君は。まぁでも泣きやんでよかったよ」

 

 

 

「ねぇ、よかったらこれから一緒に行かない?私ずっとひとりでさ。行く当てもなく誰もいないっていうのはこりごりで…。何か用事あるなら手伝うから、どこか目的地があるなら付き合うから。だから一緒にいてくれない?」

 

 

 

男の目からはすっかり涙は消えていた。

 

「もちろんだ、それをどれだけ望んだことか。俺も今迷子の真っ最中でさ、どこに行けばいいかよくわかんないし、ずっと誰かに会いたかったんだ」

 

 

 

 

「なんだ、じゃあ私たち二人とも迷子だったんだね。どこに行けばいいのかは結局よくわかんないけど…うん…よし、じゃあ私のあとに付いてきなさい。なんとかしてあげるから」

 

 

 

「かっこいいなぁ。でもごめんな、もうこれ以上君のあとは歩きたくないんだ。ちょっと後悔したことがあってね、君がいた証はもう消したくないんだ。だから、横を…歩いてもいいかな」

 

 

 

 

「んー、まぁよくわかんないけど、しょうがないな。じゃあ、足跡並べて歩いていこっか」

 

 

女の子は少し不思議がりながらも手をだした。

 

 

 

「ありがと。それにしても君はなんで川で流されるかなぁ。何回転んだら気が済むんだか…」

 

そういいながら男も手をだした。

 

 

「しょ、しょうがないじゃん!そりゃ人間だもん、たまには転ぶさ…もう…」

 

 

 

 

「ところで君が後悔したことってなんなの?」

 

「あぁ、それは…」

 

 

 

 

 

 

 

声がどんどんと生まれて、笑顔がどんどんと生まれて、

 

しゃべってない時もつないだ手から何かが伝わってくるようだった。

 

 

 

 

 

大きな足跡があるく横に小さな足跡が同じ歩幅でならんで、

 

どこまでも続いて行った。