くろしろ

 

箱を抱えた男が一人。

どうやら軽い箱らしい。

 

 

てくてくと歩く

箱は大事そうに胸にぎゅうっと抱きしめている

 

 

 

 

 

歩く道すがら、通りすがりのおばあさん

 

「こんにちは」

としゃべりかられけた。

 

「話しかけないでください。風が吹いてしまいます」

 

 

おばあさんは

「風が吹いちゃまずかったかい?

それはすまなかったね。ところで、いったい何をかかえているんだね?何か大事なものなのかい?」

 

男は振り返りもせず、ただ箱を大事に抱えて歩きつづけた。

 

 

 

 

 

「やぁ、こんにちは」

今度はおませな男の子

 

「知らない人に話しかけるのはよくないことだよ。どっかへ行っておしまい」

またも振り返らず、歩く男

「なんだいなんだい、やぶからぼうに!僕と喧嘩でもしようってのかい?」

 

「何をいっている!そんなことしたら風が舞ってしまうじゃないか。ゴメンこうむるよ」

 

 

「風がいったい何だってんだい、風なんか吹いて当たり前じゃないか!!」

 

 

男は黙ったまま

 

男の子はつまらなさそうにいってしまいました。

 

 

 

 

そこに今度は鳥がやってきた。

「こんにちは。お兄さん歌はいかが?」

 

「こ!こないでくれ!!君の羽ばたきは僕にとってはあまりにも悲惨だ。

近づかないでくれ!これ以上風を起こさないでくれ…」

と世界の最後かのように青ざめる男。

 

「失礼しちゃうわ」

鳥はツンとどこかへ飛んで行ってしまった。

 

 

 

 

 

男はいつも風を気にしていた。北風がふーとなけばマントで箱を覆い、

ぶるぶると震え、

 

木がざざーと震えればひゃっといってほら穴に駆け込む。

 

 

そしていつも箱の中をのぞいてはさみしそうなうれしそうな顔を浮かべて、いつも泣き出してしまう。

 

 

男は今日も歩いていた。

 

すると沼から

「やぁこんにちは。」

と、ナマズのおじいさん。

「話しかけないでください。わかっていますか?声っていうのは息を吹いて出しているんですよ?」

 

 

 

「ほぉ、何をそんなに気にされているのかわからんが、私はえら呼吸だから大丈夫じゃて。そんなわけで、お話でもいかがかな?」

 

 

「…たしかに、あなたは風を起こしそうにないですね。それにここは空気が湿っている。わかりました、少しお話をしましょう」

 

「はは、なんだか申し訳ないね。ところで今までいろんな人に聞かれてきたと思うんだが、

その抱えている箱はなにかね?」

 

 

「これですか?…これは灰です」

 

「ほう、灰とはまた予想外のものをもっておるのう。いったい何の灰なのかね?」

 

 

 

「これは燃え尽きてしまった私の『思い』です」

 

「思い?」

 

 

「あなただって一度くらいそんな思いを抱いたことありませんか?誰かへの燃え上がるような恋心や、芯の芯まで焦がれてやまなかった将来への夢、絶対に手に入れたかったものへの思い。燃えるような、燃え上がるような、何かに焦がれて焦がれてしまうような気持ち」

 

 

 

 

 

「そして最後には燃え尽きてしまった大事な思い」

 

 

 

 

 

「そうじゃのう、確かにわしも長く生きておるからのう。そういった思いを経験して生きてきた。しかし、なぜその『思い』の灰をかかえておるのじゃ?」

 

 

 

「この気持ちは大事なものです。この灰をみると、とても苦しくなるんです。だけど、それでも幸せだったあの頃の気持ちを思い出すことができる。」

 

 

 

 

「燃え尽きてしまっても、まだ一緒にいたいから。これは私の幸せだった証だから」

 

 

 

 

「なるほどのう…だから風をこわがるのだね。みんなを拒絶してしまうのだね。しかし、わしは知っておるぞ。ここに長年おって君みたいなひとを見たのは初めてじゃが、きみのような男の話を耳にしたことくらいはある。

君はひとつ勘違いをしている。君はそれを東の東のそのまた東にある大きな谷に持ってく途中なんじゃ。そこには多くの『思い』が集まって、そして空の一部に帰っていく。君はその場所へその灰を持っていく途中なんじゃろう」

 

男はあまりナマズの話を信用する気にはなれなかった。なによりも、この大事な灰を手放すなんてことを考えたくはなかった。

 

しかし、ほかに行く当てがあるわけでもなく、帰る場所があるわけでもなく。

とりあえずそんな場所があるなら行って、見てくるくらいはいいのではないかとも思っていた。

 

 

 

 

ナマズは長いひげをゆらめかせながら男を見送った。男はそれまで以上に灰を守った。

 

 

風がふけば壁により、

 

犬が吠えればコートで覆った。

 

 

とりの羽ばたきや馬の駆ける風からも身を呈して守り抜いた。

 

 

風のない雨の時だけが心休まる時だった。

 

 

 

 

 

 

ついに男は大きな大きな谷にたどりついた。

 

「これがナマズの言っていた谷だろうか」

 

その谷はとてつもなく大きく、反対側はかすんで見えるほどだ。

その谷間は白いもので埋め尽くされている。

 

 

 

男は箱の中をのぞき、灰を見つめた。

 

 

また、いつもの苦くてつらくて幸せな感情があふれてくる。

 

「真っ白だ…。みんな、この谷で手放しているんだね。でも僕は…でも僕は…」

 

 

ぽた、ぽた

 

 

 

滴が灰の上に落ちる。

 

 

ぽたぽたぽたぽた

 

 

ほっぺたが冷たい

 

 

 

灰はどんどんと湿って重さを増していく。

 

 

 

 

「つらかった、苦しかった。この箱を開けるといつも幸せな気持ちと一緒に、いつもそんな気持ちもついてきた」

 

 

 

 

 

風に飛ばされないよう、いつも暗い箱に詰め込んで、

水けを好んで重くして、

 

 

 

 

 

 

「そっか…この『思い』を暗くて重いものにしていたのはいつも僕だったのか」

 

 

 

 

男は思い切って灰を谷間に向けて放り出した。

 

 

はらはらと舞って落ちていく灰を見つめながら男はまた涙を流していた。

 

 

谷底まで落ちた灰。ゆらゆらと踊ったかと思えばそこに大きな風がやってきた。

 

びゅーー。

 

 

 

谷間の白いものは、わっと舞いあがった。それはどこまででも高く飛んでいく。

 

それは灰ではなかった。

たった今、灰色に化粧をした

 

「たんぽぽ…」

 

男は灰が空に帰るのを満面の笑みを浮かべながら最後まで見ていた。

 

 

 

帰り道の男はすがすがしかった。

風を感じるとあの思いがこの風にのっているのかなと。

鳥と一緒に歌いながら空を見上げた、綿毛が飛んでいるかなと。

 

人とも思い出話に花を咲かせた。

 

 

男の大切だったときはいつだって、空を見れば思い出すことができた。

 

ある日、あのナマズにまた出会うことができた。

 

 

「あの時はありがとうございました。おかげで僕の灰は空に行くことができました。今でもあの灰は僕にとってかけがえのないものには違いないですが、それでもあの頃とは違って、この青空のように明るくて軽やかな気持ちで思い出に浸ることができるようになりました」

 

 

 

「はっはっはっ」

意外にもナマズは景気がいいといわんばかりに、活気よく笑った。

 

「すまんかったのう、あれは嘘だったんじゃ。あまりにもお前さんが暗い顔をしていたんでな。なんとか前向きになってもらいたくてのう」

 

男は驚いた。それでは灰は空に帰っていないのかと尋ねた。

 

「それは違う。いまはもうその話は真実じゃ。お前さんが長い旅をして、たくさんのことを乗り越えて…。事実、灰が空に帰る景色をお前さんは見たのじゃろう?そうなると、今となっては、単なる真実以外のなにものでもないの。これからは本当にここに来たものたちにそうやって言えるわい」

 

 

 

男はまた笑顔を取り戻しその燃え尽きてしまった気持ちについてナマズに語りだした。

 

 

 

 

風が今日も吹いている。

綿毛がふわふわと、青い空を泳いでいる。

 

 

谷底の小さな太陽たちは、花びらをひろげ次の『思い』を待っている。